佐賀藩士。佐賀城下で生まれる。弘道館で学び、江藤新平・副島種臣・大隈重信と交遊する。
明治政府には徴士として出仕する。特筆されるのは江藤新平と主に行った東京遷都の建白で、2代目東京府知事となる。民部卿・文部卿を経て司法卿となり、萩の乱・秋月の乱・神風連の乱の処理を行う。その後、元老院議長や民法編纂総裁、枢密院議長を務める。寡言で公明正大な姿勢が、政界で重きをなした。