(旧)完全戦国年表編纂後記
というわけで、作者のぼやきをただただ聞かされる?新コーナー!!
平成一二年 九月十六日
- 最近戦国系サイト見てないんだよな……まあ名前が尊大なこのサイト見てみっか…なになに「戦国時代人物名鑑」?んー、どれどれ…
- > なかでも1661年の第四回では信玄と謙信の一騎打ちの逸話が残るほどの激戦となった
- やっぱ川中島合戦は100年毎にやらないとね。
- > 唐佐和山城救援のため
- 中国にも石田三成は居城築いていたのか
- > 今川家にいることの北条早雲をうまく武力を背景にあしらったりもした
- 「早雲は今川家にいること!いいわね?」(のび太のママの声で)
- > 秀吉の名により奥州各大名から軍が送られ、
- やっぱ秀吉の名前は偉大っス
- > 鑑の豪族・宍戸氏と婚姻するなど、
- 宍戸隆家は豪族の鑑(かがみ)だよね
- > 金国に24万石も貰っている。
- やっぱ日本は黄金の国だから
- > 里見義堯が敵方・足利義明につくき、
- つく気?津九鬼?
- > 勢子に化けた早雲の精兵が一揆に小田原城に攻め入った。
- 北条早雲の勢力は一揆だったのか
- > 檄文には信長を仏敵とし、「放棄しないものは破門する」とまで書かれている。
- 「死ぬことの恐怖心」を放棄するのかな
- > そんな中に織田軍が着たら大変であるが、大変だった。
- やっぱ織田軍の軍服着ないと大変だよね。敵だとばれちゃうよ
- (折角の間の抜けた文章だったのに<原文)
- > 大内家養子に向かい入れる。
- 何にいれるんだろう?養子に向かっていって、それで……(失礼)
- > 徳川方・酒井忠勝の軍により退却路をたたれていたこともあり、
- 初陣の関が原の戦いにおいて武田家を破る功績か、すごいね。
- > 飯富虎昌を殺害してめで信玄が欲しかったもの、それは海。
- 殺害を愛でるなんてさすが信玄~!
- > 独眼流政宗の父であり、
- 伊達家伝統の剣術だったんだなあ…片目で剣術ですか?
- > 嫡子・政宗の際を見ぬいた輝宗は、
- 早く家督譲らないと劣等感で政宗の生え際まずくなると思ったのかな?<輝宗
- > 政知の偏愛によって幽閉されていた茶々丸が脱獄、
- 一見正しいように見えるんだけど、これだと政知が子供をストーカーして閉じ込めてたことになっちゃう(正しくは三男・潤への偏愛ですね)
- > 九州遠征の先行軍の対象、仙石秀久
- やっぱ豊臣方から血祭りですか?味方なのにぃー
- > 家康はこの秀頼に将軍職を譲り、
- 家康は豊臣秀頼に将軍職譲って他のカァツ!
- > 家康は元忠の意地に所領を与え、これに報いている。
- なんかSVOOの問題みたいな感じ?(ちがうって)
- > 稲葉山上洛城の頃から
- 稲葉山城に入ると自動的に上洛できちゃうんだよね
- > これに対し可之助は「お上も『ホウライキュウノカンテン』にございまする」と切り替えした。
- マナーモードで信長に接したとか?
- > 秀頼と淀君の二人めの男児。
- ぬおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
- 母と子で……(以下自粛)
- > 徳川方に会見中の以上警備を怖がられ暗殺されたか
- ま、ありがちな入力ミス
- > 六角家家臣の娘を読めに押し付けてきた時にこの若き賢政の怒りが爆発、
- 女性を読めないと男はダメだよね?
- > 三好三人集を唆し将軍を京二条城に襲わさせた。
- 松永久秀ってば三好コレクター?
- > 居城を島城である丹王島城に移すとなお一層その度は高まった。
- まあ、こういう出ない場合もあるんだよね
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- > 10月21日、織田信長配下の荒井村重謀反。
- い、井村?(爆) しかも荒っぽい井村思い…でなく重い(再度爆)
- > 9月、幕府、西国大名の500国積み以上の船を没収する。
- アジア・アフリカが安和に独立した今ですら200せいぜいしか国がないのに…
- > 12月3日、豊臣秀吉、関東・奥両国惣無事令を発す。
- どこをどう打ち間違えてこうなったのか理解に苦しむ
- > 10月、伊勢新九郎が堀越公方の茶々丸を滅ぼし、韮崎を奪う。
- 韮崎と韮山は実は地下通路で繋がってるんだ(嘘)
- > 11月11日、土岐成頼が美濃に足利義視を奉じて帰国する。応任の乱がほぼ終わる。
- 安倍貞任ですかね?
- ……………………………
- こんなに酷いサイト作っているやつの顔が見てみたいよ、まったく。
- NHK大河ドラマより歴史改竄しまくってるぢゃねえか!
- なになに…
- > 制作・文責:越後 博之(echigo@asahi.email.ne.jp)
- けしからん奴だ!このエチゴヒロユキという奴……ぬ?やけになじみある名前
- だぞ……って俺の名前じゃねえか!
- かーっ、俺と同姓同名の奴がこんなことしてるとは!
- 許せん!許せんぞー!
- メールで苦情送ってやる!メール送信っと…
- …………………何で俺のところにメールが帰ってくるんだ?
- あれだけ膨大に文章書いてしまうとどうしても誤字脱字が出てしまいます。これをきちんと校正して直せばいいのですが、文章書き終わってすぐやればいいのですがどーしても内容読んでしまうんですね。プロの校正の方は「内容を読まない」そうですが、書いた本人だとやっぱ内容確認まで再度やってしまいます。文章書き終わってしばらくたってからの校正は結構辛くて、2度3度やったつもりでも「秀頼と淀君の二人目の子」とか見落としてしまうんですね。それで武将一人一人に直リンクしてあるページで横に「ここのは間違ってます」とかかかれてリンクされてんの!(実話)
- このたびはiモード版のほうでご指摘していただいたことがきっかけで大校正する気になりました。校正するよりも新しい文章を書くことに重きをおいていたためコンテンツは豊かになったのですが質が低下していた、という問題をちょこっとだけ是正するいい機会だったと思います。これからも皆様のご指摘をお待ちしております。
- 皆様に多大なご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。
平成十年 七月十二日
- やっと完成しました「完全戦国年表・第三版」 今回はその苦労話でも……
- まず、「新暦換算」のお話。この変換作業は某K県S市の市立図書館の参考図書室で行ったものですが、この時、図書館に入って二時間ほど。頭もオーバーヒート気味になりつつあり、ふと窓の外を覗いてみると
そこは一面の銀世界だった……
- そう、あの大雪の日に変換作業は行われたのだ。帰る時にも寒くって、しょうがなかった。
- 「戦国時代人物名鑑」のほうも悲惨な思い出が。「北条氏綱」と「北条氏直」を編纂していた時のこと。この二人がやっと終わり、北条氏政の執筆に取りかかったとたん、不意に訪れる倦怠感。気分転換でもしようと、エディターソフトを閉ようとしたその時……
- この場面は面白いので、友人たちに送ったメールから引用しましょう。
>「完全戦国年表 第三版」の「戦国時代人物名鑑」の執筆。今日は
>北条一族を書こう。まずは氏綱だ。よし。つぎ、氏直。よし、書き
>終わったぞ。さて、つぎは氏政か。書きにくいなあ。うん、一休み
>してネットにつなごう。閉じるっと。ん?変更を保存しますか?
>まだ名前つけて保存してなかったのか。キャンセ・・・
>
>あれ、なぜウィンドウが閉じる・・・・
>
>いやああああああああああああああああああああああああああああ
>ああああああああああああああああああああああああああああああ
>あああああああ
>
>か、かいたぶ、ぶんしょうが・・・・ぜぜじぇんぶ・・・・あああ
>ああああああああ・・・そのおお・・・あの・・・ボクのいちじか
>んはんは・・・・その・・・・ははは、冗談だよね。
>
>
>
>さようなら、北条一族。
>
>P.S.なぜかこの日は保存しながら書いていなかったのよ。ちょっと
>待ってくれよ・・・マジで洒落にならん。つまり間違って「いいえ」
>を押したらしいんだけどね。「第三版」のアップが一ヶ月は遅れる
>な、これは。ちなみに、一時間半分の文章とは推定的に800×600の
>画面が2枚埋まる程度です。システムフォントの14ポイントで。
>
>おまえに電話回線が悪くてビジーでもないのにつながらない。もう
>いい。
>
>もういい。
>越後博之(Hiroyuki Echigo)
>E-Mail: echigo@asahi.email.ne.jp
>Homepage: http://www.asahi-net.or.jp/~mh6h-ecg/
>
>でもまだ状況が掴めていない。
- その後、「偽りの、再生」を遂げた私は無事に、なんとか書き終わることが出来たのであった。
- まあ、編纂期間は一年の長きにわたって休日などにちょこちょことやっていきましたので、その間に考え方の変化等が見られるので、なにか疑問等御座いましたら、メールくれるとうれちーです。
- あとは、インデックスページのデザインとか、ページの見やすさとかにも気を配りましたね。ちなみに、インデックスページにアイコンはほとんど全てが手作りです。あとは、フレーム版ですかね、時間がかかったのは。私自身、フレームが好きじゃないから、フレームが残らないように注意したのと、フレーム版じゃなくともきちんと見られるようにしたことかな。
- 御意見御感想ありましたら、「二条河原落書版」のほうにでも、お書き添えくださると嬉しいです。
平成十年 七月某日
- このページをご覧の方には、「南総里見之館」というページからこられた方も多いかと存ずる。Tomjin氏制作のこのページ、里見氏のことが不要なまでに分かって嬉しいのだが、このページのトップ、「Tomjin's Homepage」を見ると、「Japanese Castle Navigator」というページが製作中であることが分かる。しかし、アップ日時は伸びるばかり。このことについての真相について、ちと書こうと思う。
- 実を言えば、この「Japanese Castle Navigator」こそが、下にも書いた、「日本の城ナビゲーター」のなれの果てであり、Tomjin氏こそが、氏がネットに繋ぐ以前からこの「完全戦国年表」に度々登場していた、櫻田智秘図氏なのである。
- では、彼はなぜ「Japanese Castle Navigator」を完成させることが出来ないのか。答えは簡単である。大体においてこの「日本の城ナビゲーター」を執筆することにした三人は全員多忙である。それぞれに自分の生活がある。それに付け加えて、書く暇を見つけては書いていかねばならない。だが、その三人のうち、二人がいなくなってしまっては日本全国網羅することなぞ、夢のまた夢であることは目に見えている。
- では、その三人のうち、「私、彼(Tomjin氏)、もう一人」で、なぜ、二人が抜けたかを書かねばならないのだろう。だが、私と彼を除く「もう一人」は、明言して「城ナビプロジェクト」から消えたわけではない。彼自身はちゃんとある時期まで執筆作業をしていた。抜けたとはいいがたい。
- え、私が抜けたわけ? 書かなきゃだめ?
- う~ん…………なんというかなあ………そのだね、俺(マイクロソフト)が新しいOS(OS/2のこと)を386で開発することを主張したのに彼(IBM)が286をターゲットに開発することを主張したから、というか……………俺(ソニー)が、ベータ規格を推奨したのに、彼(その他のメーカー)がVHSにシフトしたからというか……ま、そーゆーことです。
- おかげさまで「曹操と劉備が手を組んでいたらわずか数年で天下を取れたであろう」的な議論で言えば、そうかもしれないが、曹操には曹操なりの統一ビジョンがあって、劉備もまた然り、ってとこだから。ね。下に書いた例で行けば、小沢一郎には、みんなついてきてくれんのよ。だから、融和路線は去っていく、と。わたしは実を言うと自由党に……(意味不明)
平成十年 一月三十一日
- 「完全戦国年表」も10000アクセスという節目の時を迎えることが出来ました。これも、時には暖かくお見守りいただき、時には厳しいご意見をおよせくだすった皆々様の御蔭です。どうもありがとう御座いました。
平成十年 一月二十六日
- 「完全戦国年表」は今日、1月26日で満一周年です。たくさんの同じく戦国時代が好きな方の方とも交流できました。私個人、いろいろと戦国時代についてや、そのほかいろいろと勉強させられる年でもありました。今まで一年間有り難う御座いました。とかくとこれでおわりか、完全戦国年表と思われるかもしれませんが、悲しいかな、「完全戦国年表」は更に発展してしまう予定です。その発展系を、本日お目にかけます・・・といければ幸いだったのだが、大雪と某城の御蔭、そして会誌の影響(と言われてもどれも意味不明だ)で間に合いませんでした。しかし・・・ふふふ・・・と笑いが止まらない完全戦国年表、2年目もよろしくお願いします。
- 唯一の心残りは、アクセス数1万に100強足らなかった事かな。
平成十年 一月
- 「戦国リンク集・放生月毛」 というページを企画していた。途中まで作成した。挫折した。今は、私のブックマークの代わりと成り果てている。
- 戦国時代のホームページを集めたリンク専門サイトとしては初めてになる予定で、「完全戦国年表」からは完全に独立、サーチエンジン等にも単体で登録しようとしていた。
- 理由は戦国時代関連ホームページの異常なまでの増加。私が作った頃なんかはまだまだ少ない方だったのにねえ。ちなみに、完全戦国年表のコピーライトが1995年からになっていますが、これは「第一版」を含めてのもの。カシオのローカルなワープロで作成されたこの幻の第一版は、非公開にして非売品、世に元原稿を含めて二部しか出回ってません。
- 一応リンク集を作るときは、全部のページを見て、コメントを自分で考えて、リンクフリーでも作者の方へメールを出して・・・と考えていたのだが、こんなの出来るわけねえだろ!! というくらいにページは増えていたのであった。あーあ。一部のページは消えていたし。
- それに、いままでこの「完全戦国年表」にリンクを張っていただいている数少ない方へ、混乱を巻き起こすのではないか、という危惧もあったから、です。 いやね、いろいろな事実が分かっては来たのですがね。戦国系ホームページに関する。まあ、この放生月毛はそれなりにしっかりしたものが出来てはいるので、この完全戦国年表で単体で使うことになるやもしれませぬ。
- なぜ、放生月毛かって? もういいでしょうそんなことは。勘弁して下さいよ。私の心を傷つけないで!!これ以上!!(怒るなよ)
平成十年一月
- 「日本の城ナビゲーター」という企画があることをこのページで発表したことがある。それ以降なんの音沙汰もないが、これはどうしたことか。ふふふ。いまね、何回かこのページで登場してきた櫻田氏が一人で制作しているらしいのよ。もともと仲間内3人で執筆し出したこの「城ナビ」であったが、私は進まず、もう一人はかなり書いて以後それっきり。今一人彼が孤軍奮闘です。しかし、いまアップ先やら原稿執筆担当者があやむやに成りつつあり、新進党かもしれない(新語)