阿部 弥七郎(あべ・やしちろう)
1535年12月5日、尾張国守山に出陣中にて、父が処刑されたと思い込み松平清康を殺害。その場で弥七郎も誅された。織田信定の陰謀だの混沌とする尾張情勢でいろいろ言われているものの、完全に偶発事故だったのが真相のようである。だが、清康が25で死んだのは大変大きく、今川服属時代の苦難はすべて清康誤殺によるところといっても良いだろう。だが、父阿部定吉は自害することを止められており、1549年まで広忠・家康に仕え、松平家臣団の統率に心を砕いている。よっぽどの人格者だったのだろう。