赤松 政則(あかまつ・まさのり)
生没年 |
1455~1496.4.25 |
名前 |
次郎法師丸 |
官位 |
兵部少輔、左京大夫 |
赤松満祐の弟・義雅の孫。1443年南朝末裔に神璽が奪われた後、長禄の変を1558年赤松旧臣が起こし吉野の奥地から神璽を取り返した。この功という名目で、細川勝元の差金もあり赤松宗家の家督相続が認められた。応仁の乱では細川勝元に味方する。山名家は不倶戴天の敵となっており、応仁の乱後も両国をめぐり激しく対立した。播磨・備前・美作の守護は取り返していたが最終的に山名勢の攻撃をはねのけ、赤松家の再興を確実な者とした。