足利 茶々丸(あしかが・ちゃちゃまる)

生没年 ?~1498
名前
官位

足利政知の子。1491年、の死により家督相続し、家督相続3ヶ月後に異母弟潤童子とその母を殺害、以後も重臣を殺しまくり伊豆国は大混乱に陥った。それを見かねた今川客将にして興国寺城城主の伊勢新九郎長氏が堀越を攻め、1493年8月に自刃。

茶々丸の子は後世の史家により「戦国時代の始まり」と形容され、茶々丸は歴史に名を残すことになった。殺された相手が北条早雲だったということは僥倖だったと言えよう……いや、こんな横暴が行われれば下克上とか考えずになんとかしますって。そんなわけで、近年は伊勢新九郎の素性が向上したこともあり、あまりフィーチャーされることはない。明智光秀や吉良上野介ですら弁護される現代社会において、東条英機と並ぶ悪名人物のフロンティアかもしれない。……東条英機は映画化されたので、やっぱり日本史最後のダメ武将か。