足利 政知(あしかが・まさとも)
生没年 | 1435~1491.9.3 |
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名前 | |
官位 | 左衛門督 |
足利義教三男。享徳の乱の結果、関東へ下向することになる。が、東国武士は中央から来た新・鎌倉公方を歓迎せず、鎌倉も廃墟と化していたことから伊豆・堀越に居を構えた。足利義教仕事は足利成氏が復権、鎌倉公方は古河公方と堀越公方の2系統となった。両者戦うも1483年、上杉顕定の画策で伊豆を政知の料国とすることで和睦が成立した。この際に関東諸国支配権も成氏のものとされている。
細川晴元と通じ子・足利義澄を将軍に擁立している。足利義輝・義昭兄弟の曾祖父にあたる。最後、茶々丸廃嫡し潤童子を嗣子とするも病死、結果として伊豆国は茶々丸により暗黒時代を迎える。