足利 義明(あしかが・よしあき)

生没年 ?~1538.10.7
名前 空然
官位

小弓公方。父・政氏に対し兄・高基とともに戦うが、兄とも不和になる。正当性競争として北条寄りの足利高基・政氏と対立した。上総守護代武田氏・南総里見氏と手を組み、鎌倉を海路攻めたりもするが、1538年国府台の戦いで敗死。里見との連合軍は優勢であったが、足利義明の突出が原因で敗れている。この時代の足利家にそぐわぬ武勇ッぷりが破滅を招いた。万事を積み上げた里見義堯にとってはまさか後年「弱小大名里見」と言われるとは心外であろう。