足利 義晴(あしかが・よしはる)

生没年 1511.3.5~1550.5.4
名前
官位 権大納言、左大臣

足利義澄の子。父を追った筈の細川高国が自ら擁立した足利義稙が淡路から出てこないため擁立される。柳本賢治高国共々京都を追われる。朽木谷まで逃れたり、京都へ帰ったりと二転三転をする。足利義稙ほど全国めぐりしていないが…

そんな状況も細川晴元体制が脆弱だったことに尽きる。細川氏綱・畠山政国・遊佐長教との対立から畿内の状況は不安定であった。畠山・遊佐と味方して晴元と対立して京都から逃れたり、三好長慶に追われ晴元と一緒に近江へ逃げたりしている。

足利義輝足利義昭の父である。