足利 義視(あしかが・よしみ)
生没年 | 1439.閏1.18~1491.1.7 |
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名前 | 義尋 |
官位 | 従五位下左馬頭、参議兼左近衛少将、権大納言 |
足利義教の子、足利義政の弟。嗣子が生まれない兄・足利義政の養子となったが、その翌年嗣子が生まれる。結果、応仁の乱の西軍に祭り上げられる。官爵を削る勅が下ったり、義視追悼勝利を祈る院宣が興福寺に下されたり、四国・九州の小大名に味方を呼びかけたりと相当疲れたと思われる。最終的には土岐成頼を頼って美濃へ行くこととなったが、回り回って義尚死後に義政と和し、子・義材(足利義稙)が第10代将軍となったにあわせ大御所と呼称されたりもしている。が、ちょっと人生に疲れたのか翌年死亡。
大河ドラマ「花の乱」では佐野史郎の怪演が光る。