毛利家臣。1523年、元就の家督相続に尽力する。しかし、1550年元就に一族30余名が誅される。諸役を務めず元就の権威を軽視しているといった理由があったようだが、その背景には市や町の課税による経済力もあったようだ。 その後、井上氏は弟の元光が相続し、父光兼がお礼言上に出仕したりしている。