池田 恒興(いけだ・つねおき)
生没年 | 1536~1584.4.9 |
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名前 | 勝三郎、紀伊守、勝入、経興、信輝 |
官位 |
池田恒利の子。母は養徳院で信長の乳母である。よって信長とは乳兄弟である。また、摂津の池田氏とは同族という。
信長に付き従い各地を転戦、荒木村重の花隈城攻略の恩賞で摂津を与えられ軍事指揮権を任される。本能寺の変後は山崎の戦いに羽柴秀吉側で参戦した。清州会議では宿老級に昇格する。賤ヶ岳の戦い後、織田信孝旧領の美濃13万石を与えられた。
小牧・長久手の戦いを前に織田信雄から勧誘されるが秀吉につく。尾張犬山城を攻略、楽田まで陣を進めた。が、小牧山を抜くことは出来ない。膠着する戦線を前に三河岡崎を突く策を建案。実行に移されるが徳川軍に見破られ迎撃される。子・元助や婿の森長可らと共に戦死した。