石川 数正(いしかわ・かずまさ)
生没年 | ?~1593 |
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名前 | 与七郎、内記、石川吉輝 |
官位 | 伯耆守 |
幼少時を家康と共に駿府で過ごす。桶狭間の戦い後は、清洲同盟締結に尽力、駿府の嫡子・信康奪還でも活躍した。西三河の旗頭として、遠江国衆の束ね役として重きをなした。酒井忠次とともに2宿老であった。
信長死後の小牧・長久手の戦いで緊張する徳川・羽柴間で秀吉折衝役を務める。小牧・長久手の戦いでは小牧山本陣を守り、前田城を落とし活躍する。が、1585年数正は豊臣家への出奔を遂げる。理由は不明だが人たらしの秀吉特有のお誘いかもしれない。家康は数正出奔後軍制改革を実行するほどの衝撃であった。九州攻めの従軍、松本城8万石の領有等が特筆される。1592年死去。