1494年10月、父房定の死を受け越後守護家の家督を相続する。実兄の関東管領上杉顕定を助け、何度も関東出兵を行う越後守護上杉家は守護代長尾氏らに国政を委任するきらいがあったが、房能は直接支配指向で被官や国人の守護不入特権を否定、国内は大きく揺れ守護代・長尾為景の離反を招いた。1510(永正7)年長尾為景に攻められ松之山で敗死した。