織田 秀信(おだ・ひでのぶ)
生没年 |
1580~1605.5.8 |
名前 |
三法師 |
官位 |
侍従、権中納言 |
織田信忠の長子。岐阜城で生まれる。本能寺の変の時は織田信忠と一緒にいたが、前田玄以に遺命して逃れ、清洲城に逃げることが出来た。
清州会議で羽柴秀吉に推され織田家継嗣となる。織田信孝により会議で決められた安土に移されず岐阜にとどめ置かれた。秀吉は岐阜を攻め秀信を引き取り、信雄に後見させた。
1592年岐阜城主なり13万石を領した。関ヶ原の戦いでは西軍に属し、東軍と木曽川で野戦のうえ負けている。岐阜落城時は残った家臣に感状をしたためている。福島正則の助命もあり、高野山幽居。同地で死亡。