織田 信行(おだ・のぶゆき)
生没年 |
?~1558.11.2 |
名前 |
勘十郎、信勝、達成、信成 |
官位 |
武蔵守 |
織田信秀の三男とも四男とも。信長のすぐ下の同母弟。
父から末森城を譲られる。父の死後、信長とは独立する動きを見せる。熱田神宮関連の諸権益や財産を保障する判物の発給、弟秀孝誤射に対しての織田信次対応(勘十郎は守山を焼き討ちしている)など。
信長の筆頭家老林秀貞も勘十郎擁立を図り、秀貞の弟林美作や付家老の柴田勝家含め信長に反旗、稲生の戦いで敗れる。このときは清洲に母と勝家同行で赦免に行っている。
しかし、竜泉城を築き、篠木三郷の横領を企て信長に再び敵対する。柴田勝家の注進もあり、11月2日清洲城に呼び出され謀殺された。