片桐 且元(かたぎり・かつもと)
生没年 | 1556~1615.5.28 |
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名前 | 助作、直倫、直盛、且盛 |
官位 | 東市正 |
元は浅井家家臣の家柄。秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いでは一番槍として表彰される。賤ヶ岳七本槍の一人。九州征伐・小田原の陣に従軍するが、検地奉行や方広寺作事奉行として活躍した。1598年秀頼付奉公人となる。秀頼方として家康との折衝に当たるが、方広寺鐘銘事件が起きると一気に豊臣家内での立場が悪化、大坂城を退去し茨木城に拠る。大坂の陣では天守大砲攻撃で活躍する。
家康から知行を受けており、且元は後見人の立場であった。豊臣家を最初から滅亡させようとしてたわけでなく、現実的な解で動こうとしたらフルボッコを喰らって嫌気がさしたのだろう。分からず屋の相手は辛い。