北畠晴具の長男。長野氏に養子を入れ伊勢南部から勢力拡大するなどしていた。が、織田信長の勢力拡張の勢いに呑まれることとなる。木造具政の内通もあり、1567年の織田信長伊勢侵攻に際し、1ヶ月半の籠城の後降伏する。その際、嫡子・北畠具房の猶子に信長次男の茶筅丸(織田信雄)を迎え入れた。密かに足利義昭と武田信玄と通じていたようで、1576年信長の意を受けた旧家臣に誅殺される。