里見家当主を務める。実際には父・義通の時代から文章を発給しているため二頭政治が行われていたように見えるが、叔父・実堯が20歳になっても実権を譲らなかったため、1533年実堯を稲村城で殺害したとされる。里見領国を内乱状態にする。安房犬掛合戦で北条氏の後ろ盾を得た実堯の子義堯に敗れ死去。