島津 忠恒(しまづ・ただつね)

生没年 1576.11~1638.2.23
名前 米菊丸→忠恒、又八郎→島津家久
官位 少将、陸奥守、参議、薩摩守、権中納言、大隅守

兄・久保が朝鮮で病死し島津氏後嗣となる。朝鮮から帰ってくると、伊集院忠棟の成敗、伊集院忠真の反乱の整理と家内整理に苦労する。関ヶ原の戦いの整理ののち、家康から琉球支配の内諾を得て、琉球出兵、琉球を実効支配することに成功する。奄美大島から徳之島までを直轄扱いとした。1611(慶長16)年の慶長内検後、太閤検地不足分を補うため籾高を採用、ほかにも外城制の採用、妻子江戸常府の早期実施など、江戸初期の薩摩藩の整備をすすめた。