島津 義弘(しまづ・よしひろ)

生没年 1535.7.23~1619.7.21
名前 又四郎→忠平、兵庫頭、義珍、義弘、維新斎
官位 侍従

島津貴久の次男。1564年諸県郡飯野に在住し、日向計略に従事する。木崎原にて伊東氏を破り、高城にて大友氏を破り日向一国を手中に収めた。その後は肥後・筑後・肥前計略に従事するが、九州征伐において羽柴秀長軍に敗れる。降伏するが、豊臣政権下では大名格の扱いを受けた。朝鮮出兵においては島津軍は抜群の働きをし、朝鮮半島において恐れられている。

関ヶ原の戦いでは伏見城に入城しようとするも鳥居元忠に拒否られ、その後は西軍で働く。関ヶ原本戦では静観するが、最後の最後で敵陣中央突破で脱出し、両軍相当の損害を受けた。その後は蟄居・隠棲し死去。