諏訪 頼重(すわ・よりしげ)

生没年 1516~1542.7.21
名前 宮増丸、小太郎、刑部少輔
官位

諏訪上社祠官。諏訪上社大祝。父と祖父の死により24歳で諏訪家家督を相続する。父は信虎小笠原長時と対抗していたが、信虎の娘を娶って和睦する。その後信虎村上義清と合同して海野氏を攻めたりしている。

信虎が追放され晴信が当主となると、海野平上杉干犯時の対上杉単独和睦の件もあり武田との関係が悪化する。晴信は諏訪一族の高遠頼継・上社・下社を密かに味方に付け、1542(天文11)年突如諏訪に乱入、十分に戦えぬまま降伏し甲斐にて切腹させられた。娘(側室小見氏との娘)は後に晴信の側室となり勝頼を生んでいる。諏訪家は武田氏滅亡後従弟頼忠が再興している。