仙石 秀久(せんごく・ひでひさ)
生没年 | 1552~1614.5.6 |
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名前 | 権兵衛、秀康、盛長 |
官位 | 越中守 |
美濃国加茂郡出身。織田家に仕えて木下秀吉の与力となり、当初近江野洲郡1000石から始まり、淡路、讃岐と与えられた。九州攻め先鋒にて戸次川の戦いで長宗我部信親・十河存保を戦死させる大敗を喫す。所領没収の後高野山で謹慎した。小田原攻めで復帰、小諸城主となる。伏見城工事で石川五右衛門を捕らえた伝説を残す。
関ヶ原の戦いでは東軍に属し、小諸城にて真田昌幸に備える役割を果たす。『仙石家譜』によると関ヶ原本戦に間に合わなかった秀忠を弁疏したという。1614(慶長19)年江戸から小諸への帰途である鴻巣で死去。
勇敢な武将で、戸次川でも無理を承知で大軍に突っ込んだが故の敗戦だったようだ。長宗我部元親にとっては溜まったものではないが。子孫は出石藩に拠り、信濃のそばを出石に伝えている。