一万田氏出身。一万田鑑実の弟。
1546年までに高橋家の養子となり高橋家を継いでいる。大内義長の奉行人として山口に付き添いを果たしている。大内家滅亡後は筑前に戻り大友麾下に戻った。が、毛利氏の誘いに乗り1561年寝返る。一度和議を結んだものの1567年には秋月氏と語らい大友氏にまた背き、立花鑑載を救済すべく敵中突破をしたりもしている。最後は大友・毛利で和議となったため筑前を追放されているが小倉城が与えられる。耳川の戦い後再び大友氏に背いたが1579年死去。