長宗我部 国親(ちょうそかべ・くにちか)

生没年 1504~1560.6.15
名前 千雄丸、千王丸、千翁丸、瑞応覚世
官位 信濃守

1509年岡豊城が本山・山田・吉良・大平氏の連合軍に囲まれ落ち、父・兼序が自刃した際に、土佐中村の一条氏を頼って落ち延びる。一条房家に「ここから飛び降りたら長宗我部の再興を約束してやる」と言われ飛び降りる剛毅な子供であった。 1518(永正15)年岡豊に復帰、吉田氏との縁組みや、天竺氏の征討など、周辺諸豪族を支配下に収め、1521(永正18)年には山田氏を討ち勢力を順調に拡大していった。

その国親に立ち塞がったのが本山氏である。香宗我部氏に三男親泰を養子に入れて勢力を拡大する一方、本山氏の本拠・長浜城を奇襲し占拠、主力を戸の本で破り、浦戸城に入った籠城軍を敗走させた。その傘下岡豊城で死去。