富樫 政親(とがし・まさちか)
生没年 | 1455~1488 |
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名前 | |
官位 |
富樫氏は加賀一国の守護であるが、父成春・大叔父泰高の代で分裂し、成春は加賀半国(北部)の守護となっていた。そんな中応仁の乱で富樫家はそのまま東西に分裂し対立を深める。追い打ちをかけるように、弟・幸千代と家督争いを行っている。
富樫政親は弟との家督争いの最中本願寺門徒の支援を受けるようになり、弟との家督争いに勝利する。しかし、その翌年から一向一揆と闘うようになる。
1487(長享元)年の足利義尚による六角高頼攻めに従軍するが、その間加賀国内の情勢が不穏となり、帰国する。高尾城に1万人余りで籠もるが、1488(長享2)年6月9日高尾城は陥落し自害。泰高の家系は名目上の守護として続くことになる。
加害国の一向一揆が織田家により制圧される前に、織田氏の朝倉攻めに加わるとした泰高の孫晴貞が一向一揆に攻撃され自刃、富樫氏は完全に滅亡する。