土岐 成頼(とき・しげより)
生没年 | 1442~1497 |
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名前 | |
官位 |
丹後の一色義遠の子とされる。土岐持益の養子となり家督を継ぐ。応仁の乱では持益と良く戦い、最後は足利義視・義材父子を美濃へ連れ帰っている。が、応仁の乱最中の美濃の治世は守護代の斎藤妙珍に任せきっており、公家・寺社の荘園・国衙領を横領されるなど地盤沈下していた。最後は嫡子・政房でなく四男元頼に家督相続させようと船田合戦を引き起こし家臣間の対立を引き起こす。最後は土岐政房が勝利し成頼は隠居したが、政房と元頼の対立は止まらず、周辺大名を巻き込んだ抗争に発展した。最後は土岐元頼と石丸利光が自刃した。その翌年成頼は病死。
なお、土岐政房の次男が斎藤道三に追放されることになる土岐頼芸である。土岐成頼は土岐頼芸のおじいちゃんである。