なか
生没年 |
1513~1592.7.22 |
名前 |
大政所、天随院 |
官位 |
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豊臣秀吉の母。尾張国愛知郡御器所村の出。夫は織田家の足軽・木下弥右衛門。ついで竹阿弥と結婚。とも(瑞龍院)・豊臣秀長・旭の母でもある。
秀吉の関白就任後は「大政所」と呼ばれた。家康を上洛させるために岡崎へ人質として送られている。これはなかの数少ない政治的活動といえ、秀吉の家康懐柔が並々ならぬ意志によって行われていたことが伺える。秀吉にとっては大切な母であり、頭の上がらない相手でもあった。朝鮮出兵で死に目に会うことが出来ず、その落胆は大きかったと言える。