中川 清秀(なかがわ・きよひで)

生没年 1542~1583
名前 瀬兵衛
官位

摂津の武将。池田勝正に仕え、和田惟政の首級を挙げたのは清秀という。その後、荒木村重に属する。荒木村重の謀反の時には村重信長の猜疑心の強さを説いたと伝えられているが、清秀は妹婿の古田重然の説得を受け織田方に残っている。武田攻めに従軍した後、山崎の戦いでは羽柴秀吉に属し戦っている。その後賤ヶ岳の戦いで、陣した大岩山を佐久間盛政に急襲され戦死した。