武田信玄の五男。母は油川氏。仁科氏は信濃国安住郡を領していた。1553年、仁科盛安は信玄に従うが、上杉氏への内通のかどでその子盛政を処断、盛信に継がせた。御館の乱の時は越後国境に迫っている。 信濃高遠城を任され1582年の織田軍侵攻で抵抗。唯一の戦いらしい戦いを行い奮戦するが戦死。その首は長良川に晒された。