信長の弓衆の一人。1578年1月26日安土の福田与一邸から出火する。安土へ単身赴任している家臣がどれだけいるか調査が行われ、馬廻・弓衆120名にのぼったという。そのため尾張の自宅は信忠に命じられ放火を受けた。
この時代に単身赴任の制度は無く、一家皆忠勤を求められていたということだ。住み慣れた土地という観点も流動的だったわけだ。