別所 長治(べっしょ・ながはる)
生没年 | 1555~1580.1.17 |
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名前 | 小三郎 |
官位 |
別所氏は守護赤松氏の一族。若くして家督を相続し叔父吉親・重棟がこれを補弼した。
中央で信長に奉じられた義昭が将軍につく頃、播磨は合力を命じられることが多く別所重棟がこれに対応していた。その関係で信長との接近も早く、宿敵備前浦上氏との和睦が信長の手によってなされ1575(天正3)年上洛を果たしている。
1577(天正5)年播磨平定の任務をもって羽柴秀吉がくるが、翌年に別所長治は離反している。離反の理由は諸説在って定まっていない。が、別所重棟は織田方として残っており家中も一枚岩では無かった様子が窺える。荒木村重の謀反もあり秀吉にとっては天下人になる前最大の苦労を味合わせたが、秀吉のお家芸となる兵糧攻めが展開、1年10ヶ月にわたり籠城を続けたが兵糧がつき、部将と領民の命と引き換えに自害した。