北条 氏政(ほうじょう・うじまさ)
生没年 | 1538~1590.7.11 |
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名前 | 松千代丸、新九郎 |
官位 | 左京大夫、相模守 |
北条氏康の次男。兄の早世により家督を継ぐ。1561年の上杉謙信の小田原城包囲を乗り切り、里見家と第二次国府台の戦いで下総での優勢を確保、太田氏資を誘降し、武蔵の支配を固めた。上野の由良氏、下野の佐野氏、下総の梁田氏を引き込み、北関東での勢力を拡大、自らの妻の実家でもあった武田信玄の駿府侵攻で甲斐との同盟が破綻し、上杉謙信と同盟を結んだ。が、ここで氏康が死去し甲斐との同盟が復活するも、御館の乱を巡り弟・上杉景虎に味方せず上杉景勝に味方した武田勝頼を見張り、織田・徳川と共同歩調を取り武田滅亡に手を貸すこととなった。本能寺の変後は上野を抑えた。後北条氏の最大勢力圏を氏政が確保したわけである。
1580(天正8)年家督を氏直にゆずり、「ご隠居様」と敬称された。あくまで氏直の後見であったが、豊臣秀吉の上洛命令には同意せず、最後は籠城を決断、小田原の役を招くこととなった。氏政・氏照は主戦論者と判断され切腹させられた。戦国時代の最後を北条が締めたのであった。