細川 晴元(ほそかわ・はるもと)

生没年 1514~1563.3.1
名前 聡明丸、六郎
官位 右京大夫

細川政元の子。が阿波・勝端城で死去後に家督相続。1526年三好元長らと挙兵、1531年6月細川高国を滅ぼす。

1532年、三好元長を堺に攻め自刃させる。その後、細川高国の養子・細川氏綱と三好元長の子・三好長慶の攻撃を受け、1549(天文18)年自ら擁した足利義輝とともに近江へ逃れることとなった。最終的には三好長慶と和解し隠棲、摂津で死去。