増田 長盛(ました・ながもり)

生没年 1545~1615.5.27
名前 仁右衛門、右衛門尉
官位 侍従

尾張中島郡増田村生まれとも近江浅井郡益田郷生まれとも言う。羽柴秀吉に仕える。小牧長久手の戦いの功で2万石。秀吉の知行雑務に従事。石田三成と共に東国大名取り次ぎも行う一方、京都賀茂川に三条橋をかけている。検地業にも精を出した。紀伊雑賀討伐・小田原の陣で兵糧手配を行っている。

朝鮮出兵においては名護屋において兵站を担当した後渡海、漢城(ソウル)で秀吉の渡海を待った。安房・下野衆の軍事指揮権も任されている。帰国し1595(文禄4)年、大和郡山20万石を与えられている。秀吉死後の五奉行となったが、石田三成の失脚のあたりで失脚した。 関ヶ原の戦いでは西軍につきながら家康に内通。戦後、所領を募集され高野山に追放される。大坂の陣では嫡男盛次が大坂方につき、戦後死罪となり自害。