松平 忠輝(まつだいら・ただてる)

生没年 1592.1.4~1683.7.3
名前 辰千代
官位 上総介、右近衛少将

徳川家康の6男。母は茶阿局。

1603(慶長8)年、川中島18万石を与えられる。慶長11年には伊達政宗の娘五郎八姫と婚儀。1614(慶長19)年には越後髙田藩75万石藩主となる。これは加賀前田藩対策、関東一円を一門で固める意図、佐渡金山の江戸輸送路の確保の意図があったとされる。伝馬制度の整備、高田城の築城を行っている。大坂夏の陣への遅参、夏の陣途上の秀忠家人との諍い等を家康にとがめられ、1616年伊勢国朝熊に配流となった。後、飛騨高山へ、次いで信濃諏訪に預けられて同地で死去。圧倒的長命の人物だった。

キリシタンとの関係、大久保長安が付け家老であったことなどから色々と幅が広い家康の子であった。