美濃国生まれ。最初斎藤氏に仕えていたともされるが、天文年末頃には織田家臣として名前が見られる。1556年の美濃斎藤道三救援、織田信行攻め、六角氏攻め、伊勢北畠氏攻めなどに従軍。
1570年、近江志賀城・宇佐山城を預けられる。1570年浅井・朝倉連合軍の攻撃に遭い討死した。『言継卿記』によると600の手勢で3万の兵の1000を討ち取ったという。
なお、子に森長可、森蘭丸・坊丸・力丸、森忠政がいる。