淀殿(よどどの)

生没年 1567~1615.5.8
名前 茶々、淀君
官位

浅井長政の長女。母は信長の妹・お市の方。小谷落城で父と死別する。その後母は柴田勝家に再嫁するが、ここでも北ノ庄城が落ち今度は母とも死別する。すべて落城には羽柴秀吉が関わっているが、茶々は秀吉の側室となった。

茶々は秀吉の子を生むことに2度成功する。豊臣秀頼は秀吉の跡を継ぐが、関ヶ原の戦い・徳川幕府開幕と旗色は悪かった。最後は大坂の陣で滅亡した。

あっさり書いているが、二条城の家康対面もだだをこねる、大坂の陣でも秀頼の出馬を留めるなどろくな業績しか書き残されていない。秀頼の父は大野治長だ、石田三成だというのは俗説だとしても、ろくな実績しか書き残されていない。この人の復権がなされる時が来るのだろうか。