六角 義治(ろっかく・よしはる)

生没年 1545~1612.10.22
名前 六角義弼
官位

1559年父・義賢から家督を継ぐも、1563年重臣・後藤賢豊を殺害し、求心力を失う(観音寺騒動)。1567年4月28日、六角氏式目を重臣主導で制定されることになる。六角氏の専断支配に歯止めをかける画期的な分国法であった。

1568年織田信長の上洛軍に敗れると、甲斐の武田家を頼る。武田氏滅亡後は豊臣秀吉の御伽衆となり、秀頼の弓の師範を務める。