犬山城(いぬやまじょう)

別名 白帝城
創建年と創建者 1537年、織田信康
形式 平山城

木曽川南岸の丘陵上に築かれている。元々南方の木下に城を気づいていたが、織田信康の時代にこの地に城を移したのだった。織田信康の子信清は信長に城を追われる。その後池田恒興が城主となり、しばらくは城主が目まぐるしく変わる。濃尾平野を一望する重要拠点であり、小牧・長久手の戦いの時は羽柴軍の本拠となっている。徳川義直が尾張を治めるようになった後に平岩親吉が入城し、次いで成瀬正成が入城し3万5千石で明治に至っている。

南側はなだらかであり、名鉄犬山駅から歩いて行くと平城のようにも思えるが、北東西は断崖を経て木曽川となっており、山の上にある天守が映える写真は北の岐阜県側から撮るのが一般的である。

1961(昭和36)年の解体修理により、天守下部は1537年、天守上部は慶長初年(1596年)の築造と判明。丸岡城と並んで現存最古の天守閣として知られる。一時期まで城は成瀬氏の所有であり、個人所有の国宝城郭として有名だった。