岡崎城(おかざきじょう)

別名 龍城
創建年と創建者 享徳・康正年間(1452~1457)、西郷稠頼
形式 平山城

矢作川と菅生川の合流地点の丘の上に築かれた城。三河守護仁木氏の守護代西郷氏によって築かれた。そのうち松平氏の力が増大し、清康の時代に西郷氏は松平氏の麾下となる。徳川家康はこの城の二の丸で生まれている。桶狭間の戦い後松平元康がこの城を回復、清須同盟で織田信長と同盟後、浜松城へ拠点を移すまで居城とする。家康の後は嫡子・信康が居城としたが自刃となり、石川数正・本多重次が城代を務めた。家康関東移封後は田中吉政が入部、城下町の整備を行った。江戸時代は家康生誕の城として大切に扱われ、譜代の本多氏・水野氏・松平氏が城主を務めた。中世から近世まで使われた城でありながら、本丸北側の空堀の浅さは特筆されるもので中世時代のままと評価される。天守は1617年の本多康紀による創建。城跡にはJR岡崎駅からでなく、名鉄か愛知環状鉄道が至便である。