上月城(こうづきじょう)
別名 | |
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創建年と創建者 | 正治年間(1199~1201)、得平三郎頼景 |
形式 | 山城 |
当初は上月城の北を流れる寄延川を隔てた山にある大平山(天神山、樫山)に築かれていたようだが、しだいに川向かいの荒神山へ移りこれが上月城と呼ばれていた。正治年間(1199年~1200年)に得平頼景が築いた後、建武の乱で功を立てた景盛(頼景の孫ともひ孫とも)が城を増改築したとされる。応永年間(1394年~1427年)に赤松氏と山名氏の争いが激しく、その頃に荒神山へ移ったとも言う
1441年、山名氏の侵攻により山名氏の城となって後、尼子氏が占拠、さらに毛利氏が占拠し、そこを羽柴秀吉が落としている。秀吉は尼子勝久・山中鹿之助主従を入れたが、毛利の大軍に囲まれて落城。三木の別所氏も秀吉に背いており援軍を向かわせることは叶わなかった。尼子勝久は自刃、山中鹿之助は護送中に殺された。その後間島氏が居住したがまもなく廃城となった。