信貴山城(しぎさんじょう)

別名 信貴城
創建年と創建者 1536年、木沢長政
形式 山城

信貴山は古くから河内と大和を両にらみするに適した場所であった。木沢長政が当初城を築くも敗死し城は落城。その後松永久秀が1559年に入国し本拠とした。南都地区の押さえは多聞山城を使い、大和全体の抑えとして信貴山城を使っており、久秀は頻繁に両城を行き来している。松永軍の主力は信貴山城に置いていたようだ。1577年、松永久秀は謀反にて信貴山城で爆死した。

城跡は朝護孫子寺と古代高安城跡と重なっている。ハイキングコースであるが、信貴山城として度々歴史物に出てくる割にはあっさりとしている。