駿府城(すんぷじょう)

別名
創建年と創建者 今川範政、徳川家康、1411年、1589年
形式 平城

駿府府中の地に館を設けたのは1411年今川範政の手による。が、現在府中館が静岡のどのあたりだったかはまだはっきりとわかっていない。駿府は武田氏、次いで徳川氏の所領となり、1585年松平家忠に駿府築城の命令が出されている1587年には本城が完成し、1589年4月までに天守含め城の普請工事の完成を見ている。

が、家康はその後江戸へ移り、中村一氏の居城となっている。関ヶ原の戦い後内藤信成が入るが、秀忠に将軍を譲ったタイミングで家康 は駿府を隠居城とすることとし、大規模な改修を天下普請(諸大名にお手伝いさせる)で駿府城に行った。家康 は駿府の地で死んでいる。

徳川頼宣・松平忠長ののちは駿府城代が置かれ46名にも及んでいる。大政奉還後、徳川家70万石の新領地となった。が城は師団が利用し、本丸は崩され水堀も埋められている。二の丸と三の丸の残った場所に水が戻され、現在は駿河城公園(駿河公園)として残っている。