長岡城(ながおかじょう)

別名
創建年と創建者 1605年、堀直寄
形式 平城

長岡城は二つの時期があり、一つは春日山城支城としての長岡城、もう一つは近世城郭としての長岡城の2つがある。位置は同一だったとされるが、旧城の調査は進んでいない。

蔵王城は信濃川の浸食作用により搦め手が浸食されており、移転が不可避であった。長岡の地が選ばれ、堀直寄により築城が進められた。途中松平忠輝の家老山田氏が入った時期もあったが、基本は堀氏の支配が続いた。1617(元和3)年牧野氏が入部し、明治維新まで支配が続いた。河井継之助のガドリング砲や米百俵の逸話など、長岡には歴史が多い。

現在はJR長岡駅が本丸跡地にあり跡形は城内稲荷以外無い。