長島城(ながしまじょう)

別名 松箇島城
創建年と創建者 1245年、藤原道家・伊藤重晴
形式 平城

島は木曽川・長良川・揖斐川に囲まれ、尾張・美濃と船で行き来出来る交通の要衝だった。

古くは藤原道家が移り住み、文明年間には伊藤重晴が砦を築いたという。1570年、一向宗願証寺が伊藤氏を滅ぼし、そのまま尾張小木江にまで攻め込んでいる。いったんは5万の大軍で織田信長は包囲したが、氏家卜全を戦死させるほどの大敗を喫した。

怒れる信長は朝倉氏を滅ぼした後再度包囲し、最後は城に籠もる男女二万人を徹底弾圧した。

その後、滝川一益に与えられた後、明治維新まで城主は目まぐるしく変わった。整備は適宜行われたが、最後は1876(明治9)年の伊勢暴動で主要建物を喪失している。