水ヶ江城(みずがえじょう)

別名
創建年と創建者 1469~87、龍造寺康家
形式 平城

龍造寺氏の本拠・村中城の南東に位置する。分家の家兼は武略に富み人望を集め、戦国時代に名を馳せていた。少弐冬尚の命で有馬氏を攻めるも敗戦、水ヶ江城が囲まれる。少弐の部将・馬場頼周は大内への内通の疑いを少弐冬尚が持っているので弁明すべきと開城交渉したが、謀られ龍造寺周家らは悉く殺害された。92歳の老齢の龍造寺家兼は佐賀の鍋島父子と組み、水ヶ江城を4ヶ月で落とし返した。曾孫の龍造寺隆信を還俗させ、水ヶ江本館を龍造寺鑑兼、東館・西館を龍造寺長信のものとした。龍造寺鑑兼隆信を筑後に追放するが、2年後佐賀に回復した。

佐賀藩政時代となり、水ヶ江本館が荒れることを懸念した鍋島直茂は4寺を建てて保護した。